多分小学校6年ごろだと思う。
作文で僕の夢私の夢というテーマがあった。
女子では看護婦希望が多かった気がする。
男子ではプロ野球と飛行機のパイロットが記憶に残る。
そういう僕は何を書いたか。
「50人くらいの町工場の社長になりたい」と書いた。
卒業の記念にもらった文集の中にある。
その工場の社長業を今日をもって退任する。
憧れの隠居生活に入るわけだ。
籠居が平安時代にはじまり隠居という単語は室町時代から普及したようだ。官職から降りるとか戸主を息子らに譲ってから隠居する。
明治民法にも載っている制度だそうな。
面白い話がある。
大信工業を3名から始めたときは小学校の作文は忘れていて1年で一人ずつ増やしていきつつスーパー工場長を育てる。そして社員は30名、60歳になったらその工場長に会社を売る。
売ったお金を老後の資金にする。
そう考えを実際に口にも出したし当時の工場長にも言った。
しかし望外に社員も増えあるとき税理士にこの話をした。
すると「単純に言って億の金額になっても買えるだけの資金が本人にありますかね?」僕はガーン!素人すぎた発想に唖然!
まあそれからいろいろあって甥である吉村を得て僕の隠居が成り立ったわけである。
それにしてもあの作文に「50万人の社長になる」と書けばよかったなー!
35年の稼業の途中でかかわったすべての方々に感謝します!!
ありがとうございました!!!
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