マスコミからうけるイメージではあるがIOC、日本政府、東京都の三者はオリンピック開催したい、あるいはするつもりであるようだ。
皮肉を込めてこのように言いたい。
なぜ開催にこだわるのか?お金問題だと思う。アスリートのためという理由もわからないでもない。
しかしIOCは開催運営することがミッションだ。だから中止という2文字は辞書から消えているかも知れない。
乏しい知識によると過去には戦争による中止と、政治的なボイコットでモスクワ五輪が中止になった。
実際問題、中止そのものは決して初めてではない。
しかし今回のオリンピック開催の可否は膨れすぎた昨今のテレビ放映権を代表とする集金額がネックになっているのだと思う。
莫大なこう広告費をもらっているので中止にすると(多分)返さなくてはならないが《経費》を湯水のように使っているので中止は困る。
これが僕の想像だ。
この想像を基に以下の独断を披露したい。
(オリンピック開催のためには)「誰もが犠牲を払わなければならない」このIOCの発言に東京都も政府も反論はしていない。
反論がないことを賛成であるとはいえないが
しかし!お金のためには少々の犠牲を払ってでも開催する、というなら健康問題よりもお金が大事と聞き換えたい。
そうであれば感染拡大を防ぐために経済活動をストップされた側の悲鳴は聞こえないのか!?
政府あるいは東京都はこのような発表をしたらどうだろう。
「日本は政治家が頼りなくてワクチンの調達もままならないし、役人の承認も遅れて接種がたいそう遅れている。しかし国民のまじめさに助けられて世界的レベルでは感染率は低いほうである。ありがとうございます。
今後の方針としては政府の財布はなるたけ温存して、国民に経済的負担を強いることになるが、オリンピックだけはお金優先だからよろしくね」
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